春よこい

50代でおひとりさまになりました。還暦を迎え足るを知る。定年再雇用中。二度目の定年までカウントダウン開始!

悲しいお別れと始まり

元旦は良い天気で

長女達と初詣に出かけ

還暦のお祓いもしてもらい

おみくじは大吉



そのまま、元夫の実家の義母に会いに行く予定でしたが


来客予定が入り、「ばあちゃんちは明日にしよう」と長女と話し、


一旦家に帰りビールを飲んでいたら

元夫からの着信。


「母が心配停止で救急車で運ばれた」と、


しんせきの集まりの最中の出来事だったそうです。


具合が悪いから横になる。 

皆があつまると時々なるので、そんな時は

コタツに横になります。


皆いつもの事だと思い、そのまま寝せて

義母の頭の上をドタバタと行ったり来たりしていたそうです。


別の親戚が来たよと、義兄が寝ている義母に声をかけるといつもと様子が違う…


年始の挨拶にきていた看護師の義妹が、心臓マッサージをして救急隊を呼び、

AEDをして救急外来に運ばれ

なんとか心臓はうごきましたが、


急性心筋梗塞で、おまけに心臓が破れていて手術もできずに、

84歳の生涯を閉じました。


私が離婚するまでは、全く家に寄り付かない夫なので、

私と義母と2人で暮らしていました。


離婚してからは

ひとり暮らしになりましたが、お正月の準備もキチンとしてお年玉も準備をしていました。


日記も前日まで付けていたのです。

ただ最近は、寄るといつも負担に横になっていましたので体調も良くはなかったのだと思います。


義母らしい最期だったと思います。


強くて優しくて可愛い女性でした。


養子なのに、パワハラな義父に支え

いつも朗らかな笑顔。頭も良く昔は〇〇小町と言われていたそうです。


義父の危篤時には

義母から連絡があり「離婚したけど、私は如月さんをいつまでも家族と思っているから」と

葬儀にも親族席に呼んでくれました。


義母が常に頭にあるのは

家の後の事、集落との付き合い。

家族の心配よりもその方が大きいものでした。


昨日の告別式後

お寺に戻ると集落のお歴々が勢揃いしていました。


一人一人は良いのですが

集団なので圧倒されます。


そこの皆さんが今後どうするかを話し合おうと言いだしました。


何せ誰もいなくなる訳ですから。


すると元校長で地区長をしていりや

義兄が「これからは私が母のあとを継ぎ皆さまよろしくお願いします。」と一言。


皆さん一斉にどよめきが。


元々長男である義兄が跡取りなのに

秀才の誉高い長男は教員だから転勤があるとの理由で

次男である元夫が高校生の時に跡取りの重責を背負わされました。


私は元夫が好きで結婚したのですが

役割は跡取りの嫁という肩書きがついてしまいました。


私達夫婦は、それがなかったら離婚はしていなかったと思います。


義兄は義父の推しの強さと、義母のおおらかさを受け継いでいます。


まさに跡取りにピッタリなのです。


そんな人なので、もう長老達のわけのわからない古いしきたりも変えて行く事でしょう。


良い家族とは?

良い嫁とは?

良い子供とは?


常にきちんとしないと行けないと


何かに取り憑かれたように家を守り続けた義母

女姉妹のため養子をとり、守りつらぬいた生涯はすごいのですが、それを継げと言われても

無理な事でした。


義母が亡くなって寂しくなりましたが、

同時に肩の荷も降りたのも正直な気持ちです。


世間体を気にするあまりに、本来の自分自身の生き方を曲げてしまう私。


文句を言いながら、流されてしまう私。


これからは、自分の気持ちと相談しながら

生きていこう。


四日間の通夜告別式も

普通ならば他人である私が

家族として見送るのもどうなのかと

自問自答しながらの日々でした。


しかし、いつもの自分ではなく、

私がやりたいように見送ろうと思いました。


義兄、義兄嫁、義妹は…


そんな私にあまり良い感情を持っていないのも肌で感じていました。


もうひとり優しい義姉がいたのですが半年前に

急逝しました。


30年で作り上げたつもりの絆なんて

壊れるのも早いものです。


家族側で動いていたのは

義母の優しい声を思い出しながら、それと

元夫をひとりにはさせられない

その気持ちのみでした。


そして、以外だったのが

元夫の親戚や、

地区の方達が「良くしてくれてありがとう」と労いの言葉をくれたのが驚きでした。


優しかった義母がいなくなれば

義兄や義妹との縁は本当に切れると思います。


元夫とは良い関係になっているので、支えていけたら良いのかなと思います。


後悔のないお別れができて良かった。


離婚した事を後悔しないといえば

嘘になりますが、、。


しかし、離婚せずにいやいや続けていたら.

あの古い家としきたりを、

残った私が押し付けられるところでした。


後はパワフルな義兄と義妹に任せて、


私は自分の生活を大切にして行こう。


自分の人生なのだから。


義母に感謝を忘れずに。

ありがとうございました。